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札幌高等裁判所 昭和31年(ネ)265号 判決

控訴人 被告 柞山重孝

訴訟代理人 大塚守穂 外一名

被控訴人 原告 田口才吉郎

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人の別紙目録及び図面表示の(イ)(ロ)の各建物部分に関する訴を却下する。

控訴人は被控訴人に対し、別紙目録及び図面表示の(ハ)の建物部分につき金四万三千四百円の支払を受けるのと引換えにこれを明渡し、かつ昭和三〇年六月一日から右明渡済に至るまで一カ月金二千円の割合による金員を支払え。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを五分し、その一を控訴人、その四を被控訴人の各負担とする。

この判決は第三項に限り、被控訴人において金三万円の担保を供するときは、仮に執行することがきる。

事実

一  控訴代理人は、まず「原判決を取り消す。被控訴人の請求を却下する。」との判決を求め、右申立の容れられないときは予備的に「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求めると述べ、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

二  被控訴人は、請求の原因として「(一)別紙目録及び図面表示の建物(イ)(ロ)(ハ)の部分(以下、本件建物部分という。)は被控訴人の所有するところであるが、被控訴人は控訴人と三回に亘り次のような売買契約及び賃貸借契約をした。すなわち、

(1)  (イ)の部分について、

契約年月日 昭和二五年一二月一九日

賃貸借期間 契約の日から二〇年

賃料 月額六百円(後に月額千二百円と改定)。毎月末日限りその月分支払

特約 控訴人が被控訴人に対してこの契約締結と同時に十五万円、契約の月から一〇年間賃料以外に毎月千二百五十円ずつを完全に支払つたときは、当然にこの部分の所有権は控訴人に移転する。控訴人が賃料及び右分割払金の支払を一回でも怠つたときは、この契約を解除されても異議がなく、その場合、控訴人は被控訴人に対し即時右(イ)の部分を明け渡さなければならず、また、すでに被控訴人に支払つた金員の返還を請求することはできない。

(2)  (ロ)の部分について、

契約年月日 昭和二六年三月二六日

その他の約定事項前記(イ)の部分と同じ。

(3)  (ハ)の部分について、

契約年月日 昭和二九年九月二五日

賃貸借期間 契約の日から五年

賃料 月額二千円

(二) ところが、控訴人は昭和三〇年六月分以降(イ)(ロ)(ハ)各部分の賃料及び(イ)(ロ)部分についての分割払金を支払わないので、被控訴人は、控訴人に対し、昭和三一年三月一四日頃到達の内容証明郵便をもつて同月二〇日までに延滞にかかる賃料及び分割払金を支払うよう催告し、かつ右期日までに支払わないときは前記各契約をすべて解除する旨の停止条件付契約解除の意思表示をした。しかるに、控訴人は右期日までになんらの支払をもしなかつたので、前記各契約は昭和三一年三月二〇日の経過によつてすべて解除された。

(三) よつて、被控訴人は控訴人に対し、本件建物部分(イ)(ロ)(ハ)の明渡しと、月額合計四千四百円の割合による昭和三〇年六月一日から昭和三一年三月二〇日までの賃料((イ)(ロ)部分は各千二百円、(ハ)部分は二千円。)、同月二一日以降明渡ずみまで右賃料額相当の損害金の支払を求める。」と述べた。

三  控訴代理人は、原判決を取り消し、本件訴却下の判決を求める理由として、「本件建物部分のうち(イ)(ロ)の各部分については、その売買契約及び賃貸借契約について紛争を生じた場合、当事者双方より各一名の仲裁人を選定し、該仲裁人の判断に服する旨のいわゆる仲裁契約がある。したがつて、被控訴人は控訴人との間の本件紛争については訴を提起することができず、右契約に従つて仲裁判断を求めなければならない。被控訴人が仲裁契約に従わないで提起した本件訴は、却下さるべきである。」と述べ、

四  被控訴人主張の請求原因に対する答弁並びに抗弁として「(一) 被控訴人の請求原因事実中第(一)項は認める、第(二)項中控訴人が本件建物部分について昭和三〇年六月分以降の賃料及び分割払金を支払つていないこと並びに、被控訴人主張の内容証明郵便が昭和三一年三月一四日頃控訴人に到達したことは認めるが、その他の事実は争う。

(二) 控訴人は本件建物部分の賃料及び被控訴人主張の分割払金については、昭和三〇年六月分以降の支払を猶予されていた。

すなわち、控訴人は、昭和三〇年一月二九日、被控訴人に控訴人が講元となつた共同積立会に対する控訴人の掛戻金三口の債務金百三十一万八千六百八十円について保証人となつてもらつたが、控訴人の手許不如意のため掛戻に困難をきたし、保証人としての被控訴人も請求を受けるようになつた。昭和三〇年五月九日当時の控訴人の右掛戻金債務は金九十二万五千百八十円であつたが、その頃被控訴人が、早く積立会の掛戻金を支払え、と控訴人に迫るので、控訴人は、まず右の掛戻金を支払うからその間本件建物部分の賃料及び分割払金の支払を猶予してくれと申込んだところ被控訴人はこれを承諾し、被控訴人の保証している掛戻金を支払えば、賃料等は遅れてもよいと言つた。よつて、控訴人は昭和三〇年五月二九日以降、鋭意次のとおり掛戻金の返済を実行しつつあつた。

表〈省略〉

したがつて、被控訴人主張の賃料及び分割金支払の催告は被控訴人が予め与えた支払猶予期間内にされたものであるから、右催告に応じなかつたことを理由とする賃貸借並びに売買契約の解除はその効力を生じない。

(三) 仮りに弁済猶予の事実が認められないとしても、控訴人は被控訴人の催告に応じてその指定期日である昭和三一年三月二〇日、被控訴人の代理人訴外鈴木義伴をして本件建物部分に対する昭和三〇年六月分から昭和三一年二月分までの賃料計三万九千六百円(月額合計四千四百円の九カ月分。)及び(イ)(ロ)部分の分割払金計二万二千五百円(月額合計二千五百円の九カ月分。)、都合六万二千百円を、右訴外人振出の同額の小切手をもつて被控訴人に弁済の提供をさせたところ、被控訴人は正当な理由なくその受領を拒否した。

(四) 仮りに以上の抗弁が理由ないものとすれば、控訴人は、本件建物部分について控訴人が出捐した必要費、有益費に基き留置権を主張する。

すなわち、控訴人が本件各建物部分を賃借したのち(イ)(ロ)(ハ)各部分のために支出した有益費、必要費は次のとおりである。支出期間は、昭和二九年九月二五日から同年一一月末日まで。

表〈省略〉

右各工事施行前の本件建物部分は、落葉松丸太を柱、土台として作られた片屋根二階建の粗末なものであつたが、控訴人の加えた右各工事によつて三階建となり、保存命数も伸長したし、有益費として支出した価格は現に存在している。ことに(ハ)の部分は、全部空地であつたところを控訴人が新築したものである。よつて、控訴人は右必要費、有益費の償還を受けるまでは、本件建物部分の明渡を拒否する。

(五) 控訴人は、また、次の理由によつて留置権を主張する。すなわち、控訴人は本件建物部分中(イ)及び(ロ)の部分の各売買契約に関し、(イ)の部分については一時金十五万円と合計八万六千二百五十円の割賦売買代金を、(ロ)の部分については一時金十五万円と合計八万六千五百円の割賦売買代金を支払つた。

しかして、各売買契約成立の際、被控訴人は、控訴人が分割金を完済しないで本件(イ)(ロ)の建物部分を明け渡すときは既に支払われた一時金及び分割払金を控訴人に返還することを約したのであるから、仮りに控訴人において(イ)、(ロ)部分を明渡さなければならないとしても、右各金員の合計額の支払あるまでは明渡を拒否する。

(六) 仮りに右の特約が認められず、控訴人は既に支払つた一時金及び分割支払金の返還を請求することができないとの契約があったとすれば、そのような契約は暴利行為として無効であるから、控訴人は一時金及び既に支払つた分割金の返還あるまで(イ)、(ロ)部分について明渡を拒むことができる。」と述べ、

五  被控訴人は、控訴代理人の主張に対し、「(一)控訴人主張のように、本件建物部分中(イ)(ロ)部分についての契約条項中に、本契約につき紛争を生じたときは双方より一名宛の仲裁人を選任し該仲裁人の判断に従うとの条項があることは争わない。

しかし、右条項は契約上の不備の点が発生した場合における紛争を解決するためのもの、契約の不備を補うためのものであつて、本件訴は控訴人の長期に亘る賃料不払その他の義務不履行という事実、すなわち信義誠実に反した控訴人の不作為を理由とするものであり、かかる場合は前記条項にいわゆる紛争の生じたという場合には当らない。このことは、被控訴人が控訴人を相手方として調停を申し立て、旭川簡易裁判所で行われた数次の調停手続において(同簡易裁判所昭和三一年(ユ)第三九号事件。)、控訴人から仲裁判断に服すべき旨の申出は全く無かつた事実から見ても明らかである。

(二) 賃料及び分割払金の支払を猶予したとの事実は否認する。

仮りに猶予の事実があつたとしても、それは共同積立会に対する債務を完全に履行することを条件とするものであつて、控訴人が掛戻したと主張する金員は全く微々たるもので問題にならない。

(三) 控訴人主張の工事並びに必要費、有益費支出の事実は知らない。

仮りに、その主張のような工事金を支出したとしても、それは、控訴人が被控訴人の同意をうることなく、自己の飲食店営業のため勝手に店舗を改造したことによるものであるから、かかる支出によつて留置権を主張することはできない。

のみならず、被控訴人と控訴人間の賃貸借契約においては、控訴人のなした一切の行為による費用は控訴人において負担し被控訴人に対して償還を請求することができないとの特約があるから、控訴人主張の工事金支出を理由とする留置権の抗弁は不当である。

(四) 控訴人が本件建物中(イ)、(ロ)部分を明け渡すときは既に控訴人が支払つた一時金及び分割支払金は返還するとの特約の存在は否認する。右各金員を返還しない約束である。

しかして、右各金員を返還しない旨の契約は暴利契約ではない。一時金は建築金と称し、通常の権利金であつて、十年間分割金を支払えば(イ)、(ロ)各部分の所有権が当然控訴人に移転するための前提であり、控訴人が占有使用した五年余の年数と約定賃料の額と対比して見ても右各金員を返還しないとの特約は暴利契約とは言えず、右各金員の返還を理由とする留置権の抗弁も理由がない。」と述べた。

六  証拠として、被控訴人は、甲第一ないし第四号証、第五号証の一ないし三、第六ないし第八号証、第九号証の一ないし三を提出し、当審証人鈴木弥太郎の証言及び当審における被控訴本人尋問の結果を援用し、乙第一、第二号証、第三号証の一、二、第四、第五号証の各成立及び第一五号証中の水道局の受領印の成立は認めるが、その他の乙号各証及び第一五号証の他の部分の成立は不知と述べ、

控訴代理人は、乙第一、第二号証、第三号証の一、二、第四ないし第二一号証を提出し、原審証人水内幸吉、原審並びに当審証人鈴木義伴、当審証人高橋岩男、細川竹次郎、明石由松、菅原鶴吉、佐藤良吉、菊地正の各証言、当審における鑑定人伊藤専一の鑑定の結果、当審における検証の結果及び当審における控訴本人尋問の各結果(第一、二回。)を援用し、甲第六、第七号証、第九号証のうち金額の記載の各成立は知らないが、その他の甲号各証及び第九号証のその他の部分の成立はいずれも認めると述べた。

理由

一  よつて、まず控訴代理人主張の仲裁契約存在の抗弁すなわち本件(イ)(ロ)の各建物部分に対する売買契約及び賃貸借契約について紛争を生じたときは当事者双方から各一名の仲裁人を選定し仲裁人の判断に服する旨の仲裁契約があるとの主張について按ずるに、(イ)(ロ)の各部分について本件当事者間に締結された各売買、賃貸借契約の条項中に、本契約につき紛争を生じたときは双方から一名宛の仲裁人を選任して当該仲裁人の判断に従うという条項が存在することは、当事者間に争いがない。

被控訴人は、右条項は契約上の不備の点が発生した場合における紛争を解決するためのもの、契約の不備を補うためのものであつて、本件訴のような場合すなわち控訴人の長期に亘る賃料不払その他の義務不履行という信義誠実に反した不作為を理由として契約の解除を求める場合は前記条項にいわゆる本件契約につき紛争を生じた場合に当らないと抗争する。

しかし、ある契約関係について仲裁契約が締結された場合に、仲裁契約に基く仲裁判断の対象となる事項を定めるに当り「本契約につき紛争を生じたとき」というような概括的な表現が用いられているときは、当該契約関係の存続を前提とする契約内容の解釈についての紛争あるいは事情の変更による契約内容の修正について紛争が生じた場合はもとより、契約関係の終了原因あるいは債務不履行による損害賠償請求に関する紛争の場合をも仲裁判断の対象としたものと解するのが相当であるし、本件において提出、援用された総ての証拠によつても、被控訴人主張の場合を仲裁判断の対象としないとの合意があつたと認めることができない。当審における被控訴本人尋問の結果中の供述は仲裁契約の存在そのものを否定する趣旨の供述であつて、被控訴人の主張を容認するための証拠となし難いばかりでなく、当審証人高橋岩男の証言及び弁論の全趣旨と対照すると右供述は到底措信することができない。また高橋岩男の証言は、被控訴人主張の場合をも仲裁判断の対象とするかどうかの点について多少あいまいなところがあるが、その証言中、賃貸人が契約を破棄するというときに賃借人は破棄する理由に当らない等とのことで契約の運命について争いが生じたときなどについて仲裁の役割のあることを肯定しているところが真意である。このことは成立について争いのない乙第三号証の一、二及び右証言並びに前記被控訴本人尋問の結果によつて認められる事実すなわち被控訴人は本件(イ)(ロ)の部分を含めて同様な規格の建物部分につき集団的にその主張のような内容をもつた賃貸借と売買との併存した契約を締結するに当つて、弁護士である高橋岩男に契約条項の作成を依頼し、高橋岩男は民事訴訟法に規定されている仲裁手続を予定して契約条項を作成していること、また契約内容は賃貸人にとつて極度に有利に定めれられており、債務不履行あるいは契約解除の成否についての紛争が生じやすいと予測されうることに照らし合せると明らかである。

しかして被控訴人の主張する本訴請求原因は、控訴人の賃料並びに割賦売買代金不払を理由とする契約の解除に基いて原状回復を求めるというのであり、控訴人は右不払はその主張のような理由によつて債務不履行にならないと言つて争つているのであるから、本件(イ)(ロ)の各建物部分については当事者の合意によつて仲裁人の判断に服すべき場合に属せしめられ、被控訴人は、訴訟の提起によつて裁判所の裁判を求めることはできないというべきである。したがつて、(イ)(ロ)の各建物部分に関する限り被控訴人の請求はその内容について判断することができず、これを却下しなければならない。しかし、(ハ)の部分についてまでも訴の却下を求める控訴人の申立は理由がない。

二  (一) よつて、つぎに(ハ)の建物部分に関する被控訴人の請求について按ずるに、昭和二九年九月二五日、被控訴人が控訴人に対し(ハ)の建物部分、一、二階各一、七五坪を期間は契約の日から五年、賃料月二千円の約で貸与したことは当事者間に争いなく、控訴人が昭和三〇年六月分以降の賃料を支払わないでいることは控訴人において明らかに争わないところであり、被控訴人が昭和三一年三月一四日控訴人到達の内容証明郵便をもつて延滞賃料支払の催告をなし、同月二〇日までに支払わないときはなんらの意思表示を要せず賃貸借を解除する旨の条件付契約解除の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。そして成立について争いのない甲第三号証によれば、賃料は毎月二八日限りその月分を持参して支払う約であつたことが認められる。

(二) 控訴人は、昭和三〇年五月九日頃、被控訴人から同年六月分以降の賃料は被控訴人が保証人となつている控訴人の共同積立会に対する掛戻金債務を弁済するまで猶予されているので被控訴人のした契約解除の意思表示は無効であると主張するが、当審における控訴本人尋問の結果中、右主張に符合する供述部分は措信することができず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

かえつて、成立について争いのない甲第一、第四、第五、第八号証及び乙第四、第五号証に弁論の全趣旨並びに弁論の全趣旨によつて成立を認めうる甲第七号証、当審証人細川竹次郎、鈴木義伴の各証言を綜合すると、控訴人が講元、被控訴人が会長となつて昭和三〇年一月頃始められた会員二二名、毎回三万円掛の共同積立会において、控訴人は三回に三口合計約百五十万円を落札し、被控訴人が控訴人の右積立会に対する掛戻金債務について保証人となつたところ、控訴人の支払いが悪く、ために被控訴人も他の会員に責められて控訴人の掛戻金債務の支払促進については苦慮していたこと、控訴人の右債務処理の一環ともなると考えて本件訴を起したのであつて、控訴人に対し賃料支払を猶予していないことが認められるから、右支払の猶予があつたことを前提とする本件契約解除無効の主張は採用し難い。

(三) 控訴人は、支払猶予の事実が認められないとしても、控訴人は被控訴人の指定した期日に(イ)(ロ)部分の賃料及び割賦売買代金と共に(ハ)部分の賃料を被控訴人に提供したが被控訴人は正当な理由なく受領を拒否したから契約解除の意思表示は効力を生じないと主張する。

しかし、控訴人がその主張の金員を催告期間中被控訴人に現実に提供したとの事実を認めるに足る証拠はない。

なるほど、原審並びに当審証人鈴木義伴の各証言によると、控訴人から手許不如意のためなんとかたのむと言われた同証人が、被控訴人の指定した支払催告期限である昭和三〇年三月二〇日、あるいはその翌日の二一日の昼頃、催告金員支払のため金額欄を白地とした同証人振出名義の小切手と約束手形を作成したうえ被控訴人方に赴き、その受取方を要請したところ、被控訴人にこれを拒絶されたことが認められるのであるが、約束手形の提供とか、銀行の支払保証もなく、当事者間に特別の意思表示とか慣習のない小切手の提供だけでは有効な弁済の提供があつたとは言えないし、他に被控訴人において信義則上これを受領するのを相当とするというような事実については主張、立証がないのであるから、控訴人の右抗弁も採用できない。

(四) 次に控訴人は、以上の抗弁にして理由がなく(ハ)建物部分についての賃貸契約は解除されたものだとすれば、控訴人が(ハ)建物部分について支出した必要費及び有益費の償還請求債権をもつて留置権を主張すると抗弁する。

当審証人佐藤良吉、菊地正、菅原鶴吉、明石由松の各証言並びに当審における控訴本人尋問の結果の各一部、右各証言及び本人尋問の結果によつて成立を認めうる乙第六ないし第一三号証に当審鑑定人伊藤専一の鑑定の結果及び当審における検証の結果を綜合すれば、(ハ)の部分はもと二階の部分だけであつて下の一階部分は通路となつていたが、控訴人はこれを賃貸したのち昭和二九年一〇月から一一月にかけて改修工事を行い、表側一階部分を一尺拡げて三畳の居間とし、二階との階段をつけ、二階も壁板等を張り替え、電燈の配線をし、二階の上に倉庫として使用される三階を作り片屋根であつたものを両屋根にし、外壁はモルタル仕上げにしたこと、(ハ)部分については改良前の材料であつて撤去されたものは考慮に容れるほどの価値のないものであること、しかして一、二階部分の工事について支払われた金額は五万五千八百円であること、右各工事は総て改良工事であつて建物部分の保存に必要な工事とは言えないことが認められる。右事実によれば、控訴人が(ハ)の部分について支出した金員は有益費に属するものと言うべく、右認定以上に控訴人が三階部分についてどれだけの支出をしたかは前記鑑定の結果によつても確認しえず、他にこれを認むるに足る証拠がないから、控訴人の支出した有益費は前記認定の程度において認めるよりほかない。しかして、前記認定事実と鑑定人伊藤専一の鑑定の結果及び当審検証の結果を綜合すると右有益費の現存価格は、改良後の耐用年数一八年、経過年数四年として金四万三千四百円であることが認められる。

前掲各証人の証言及び控訴本人尋問の結果中、以上認定の諸事実に抵触する部分は、いずれも措信することができない。

(五) 被控訴人は、控訴人のした工事は被控訴人の同意を得ることなく勝手にしたものであるし、また本件当事者間の賃貸借契約においては建物部分の修繕、改築等一切の行為はすべて賃借人である控訴人の負担とし、支出費用償還請求権はあらかじめこれを抛棄する旨の合意があつたから控訴人の留置権行使は失当であると主張する。

しかし、賃貸借契約解除の際に賃借人が賃貸人に請求することのできる必要費または有益費は、信義則からみて特に異常なものでない限り、その支出について賃貸人の同意を得たものに限られるというわけではないし、本件において賃借人たる控訴人が支出した前段認定の有益費は特に異常なものとは解されない。

成立について争いのない甲第三号証中には家屋にかかる諸税その他公私一切の費用又は井戸下水の改築修繕は全部控訴人の負担とする旨、また家屋明渡しの時は原状の通り控訴人の費用をもつて即時取繕い返却する旨の記載があるが、右の記載だけでは控訴人が一切の費用償還請求権を抛棄したと認めるのは困難であるし、他に被控訴人の右各抗弁事実を認めるに足る証拠はない。

(六) 以上の判断に従えば、控訴人は被控訴人に対し(ハ)の建物部分に関する限り、被控人から金四万三千四百円の支払を受けるのと引換えに右建物部分を明渡すべき義務と、昭和三〇年六月一日から賃貸借契約解除までの賃料並びに契約解除後の賃料相当の損害金として一カ月二千円ずつを支払うべき義務がある。

三  しからば、被控訴人の請求は、(イ)(ロ)の建物部分に関してはこれを却下すべく、(ハ)の建物部分については金四万三千四百円の支払と引換えにその明渡しと昭和三〇年六月一日以降右明渡済に至るまで一カ月金二千円の割合による金員の支払を求める限度において認容され、その余の部分は失当として棄却すべきである。

よつて、右判断と趣旨を異にする原判決を変更することとし、民事訴訟法第三八六条、第九六条、第九二条、第一九六条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石谷三郎 裁判官 渡辺一雄 裁判官 岡成人)

別紙

目録

旭川市五条通八丁目所在

家屋番号 五条通八丁目第九番

木造モルタル塗亜鉛メツキ鋼板ぶき二階建店舗 一棟

建坪 三十五坪八勺

二階坪 三十五坪八勺

のうち

別紙図面赤線((イ)(ロ)(ハ))の部分

図面〈省略〉

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